自動車の街「与野」物語
昭和8年に、国道17号線が与野町を南北に縦貫する形で開通すると、埼玉県下の自動車販売会社の本社の多くが与野に創設されました。
【自動車販売会社の本社ショールームでは貴重な車も展示されます】
以来、自動車整備・修理、車体ぎ装、自動車部品製造の会社が立ち並ぶようになったのです。
【特殊自動車の組み立て工場:1980年頃】
戦後、高度成長期には新大宮バイパスができ、東北・上信越地方と東京・京浜を結ぶ産業経済の大動脈としての各割を果たし、1980年代には、ピストンリングなどエンジン部品、パーラー、ウインドワイパーは国内市場占有率50%を超え、輸出も盛んでした。
この当時、与野市内産業の面でも自動車関連産業は、市内全製品出荷額の42%に及び正に“自動車の街「与野」”であったのです。
【与野市の時代には「自動車の街 与野市」の看板もありました】